8月17日。盆休み明けの初仕事は午前4時30分、三原の蛸壺漁から始まった。船に乗せてくれたのは三原市漁協の赤穂清人さん。夜明け前の真っ暗な港を出航し、しばらくすると空が白み始めた。30分ほど船を走らせると蛸壺を仕掛けた地点に到着。すると「線が見えるじゃろう?」赤穂さんが不思議な言葉を発した。「線?」編集部一同キョトンとしてしまう。もちろん海に線など引かれていない。よくよく聞いてみると、赤穂さんは長年の経験から、周りの景色や山筋などを見れば蛸壺を仕掛けた地点が分かるという。これが赤穂さんにしか見えない「線」の正体だ。海上の目印となるブイ(浮標)なしに、周辺の地形や目標物を頼りに自船の位置を確認する「山立て」といわれる方法らしい。
赤穂さんがロープで蛸壺を引き揚げ始めた。一個あたり5キロの重さの蛸壺がいくつもロープにつながっている。手際よく、後でまた海に下ろす時のことも考えてもつれないように巻きながら置いていく。万が一体に引っ掛けてしまったらそのまま海に引きずり込まれる事故につながりかねないため、編集部も立ち位置に注意しなければならない。
引き揚げた蛸壺からニョロニョロッ…蛸が元気よく飛び出してきた。初めての「蛸壺から蛸」の光景に、編集部一同大興奮。想像以上に素早く逃げ回る蛸を急いでカメラで追う。蛸の足にそっと指を触れると吸盤が吸い付く。大きな蛸が登場すると歓声も大きくなる。三原の蛸壺漁は深いところに仕掛けるため、大きな蛸がかかりやすいらしい。環境保護のため、小さな蛸は海に返すのだという。約2時間、赤穂さんの漁場で3つのポイントを周り、港に戻った。
港ではさっそく組合員がとってきた蛸を大きさ別に分け、袋詰めしてすぐに急速冷凍にかけられる。この迅速さが鮮度を保つ秘訣だ。日を置いて解凍し刺身にしても、生と変わらない旨味が生きているという。「今日のランチは絶対に蛸料理を食べよう」と心に誓い、三原市漁協の濱松組合長と赤穂さんの取材へ。
最初の蛸壷漁は漁師の思いつきから。瀬戸内海の三原沖は古くから蛸漁が盛ん。現在主流となっている「蛸壺」を使った漁も長い歴史があり、蛸壺漁の始まりは漁師の知恵だったという説がある。その昔、この辺りで大きな巻き貝がよくとれており、身を食した後に海に捨てられた巻き貝の殻に蛸が入り込み、漁の網にかかって揚がってくることがあった。そこで漁師は「巻き貝の殻にロープを着けて海に投げ入れておけば、蛸がとれるのではないか」と考えた。これが三原に伝わる蛸壺漁発祥のいい伝えである。
蛸壺は当初、陶器だったが、現在はプラスチック。プラスチック製のアイデアを出したのは三原市漁協で、試行錯誤しながら4回ほど形を変え、30年以上前から現在の形に落ち着いているという。プラスチック製の壺にはセメントの重りが付いているので意外にも陶器の壺より重く、1個がおよそ5キロ。素材は陶器より壊れにくくなり、重くなった分海底にどっしり座り流されにくい。
蛸は自分の体の大きさに合わせて快適なサイズの壺を好んで入るため、大きな蛸を狙うなら大きな壺を仕掛ければいいのだが、大きな蛸ばかりたくさんいるわけではない。そこで、小さな蛸から大きな蛸まで平均的に入りやすい現在のサイズに統一されるようになった。
現在使っている壺を製造しているのは山口県防府市の会社。現在全国で使われている蛸壺の約7割を担っている。かつてまだ従業員10名足らずだった時代に先代社長が営業に訪れ、三原市漁協がプラスチック製の蛸壺ができないかと相談を持ちかけたことから蛸壺の製造に着手し今に至る。先代は亡くなったが、この時の縁から、現在も三原市漁協との付き合いを大切にしてくれているという。
蛸壺には、蛸が入ると入口のふたが閉まって出られなくなるというネズミ捕りのような仕掛けが付いたものがあるが、三原市漁協では使っていない。毎日漁に出て揚げられるならいいが、何日も閉じ込められてしまうと、その間蛸は餌を食べることができずに弱り、多くは死んでしまう。蛸は餌がなくなると、自分の体を食べ始めるという習性もある。そんなふうに無駄に蛸を傷つけ命を奪うようなやり方はとるべきではないと考えているから、三原市漁協ではふたがない蛸壺を使う。
自由に出入りできるため逃げられてしまうこともあるが、蛸壺漁で生きていくためには、とるばかりでなく「守る」ことも大切。これからもこの瀬戸内海で蛸が生きていけるように、蛸を守り、蛸が生きる環境を守ることも、漁師の役目なのだ。
三原の蛸は100%天然。養殖も研究されているが、成長に合わせた餌の管理や共食いを防ぐための環境整備・管理など課題が多く実用には至っていない。
三原市漁協の漁域は潮の流れが速い、船の往来が多い、幅も狭いなどの理由から、底引き網漁が禁止されている。蛸壺を仕掛けているところに網を張られると、網を引き上げる時に蛸壺まで引っ張られてロープが切れてしまう。以前は、 禁止にも関わらず密漁に訪れる船とのトラブルに頭を抱えていた時期もあったが、停船や罰金などの制裁が厳しくなり、環境の変化でリスクを冒すだけのとれ高も見込めなくなったことや、高齢化で船そのものが減少したこともあり、今ではそういったトラブルはほとんど起こらなくなくなった。
しかし近年は観光で蛸釣りが人気で、これがまた蛸壺漁で生計を立てる漁師を悩ませているという。蛸釣り道具の進化とともに遊漁船がたくさん釣るようになったこともつらいところではあるが、最も悩ましいのが釣りの仕掛け(テンヤ)の投棄だ。海に捨てられたテンヤが漁の網やロープに引っかかると簡単には取り外しできず、道具を破損してしまったり、網やロープを引き揚げる際に、引っかかっていたテンヤが飛び跳ねて顔に飛んできてけがをしたり、深刻な被害につながることも。
「産卵用の壺なども設置して蛸を守っているのに、よそからやってきてお構いなしにとっていかれるのはたまらん。釣るのは自由なので釣るなとは言わないが、せめてマナーを守って、漁場の安全や環境の保全にも配慮してくれたら」と濵松組合長は願う。「釣るからには確実な仕掛けでたくさん釣りたい気持ちも分かるが、逃げられんようにドキドキしながら引き揚げるスリルも楽しいもんよ」。
三原市漁業協同組合公式サイト
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掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。