「僕は人より優れていると思っていないし、むしろ足りないものが多くて偏った人間だなと自分では思っています。だからこそ、そんな自分が当たり前にしていることを、ほかの人ができていないと、なぜだろうって疑問に思ってしまうんです」。そんな自分のことはなかなか理解してもらえないのではないか、人それぞれのやり方や考え方があるものだから押しつけるものでもないしと思い、あまり自ら言葉で語ろうとはしてこなかったという長畠さんだが、最近少し変わってきたという。
「うわべだけじゃない農業の話をしたいと思って、この前、僕から声をかけて若い子と一緒に飲んだんですよ。自分が思っていることや自分がやってきたこと、ほかの人がどんな思いでどんな農業をしているのか、いろいろ話ができたらいいなと思って。今までは聞かれるまで言わない、聞かれたら初めて話すっていうスタンスでしたが、それでは何も伝わらないから、まずはこちらからモーションをかけようと。こちらの思いを伝えておけば、相手が必要だと思った時に声をかけてくれるだろうし。こちらから心を開かないといけないなと、最近ようやく分かってきました」。
長畠さんは若者たちに何を伝えているのだろう。「先日は、どのくらいの売上を目指したいのかをまず考えた方がいいという話をしました。それがないとアドバイスしようがないので。僕の規模を遥かに超えるような目標でなければ、僕なりの考えをある程度は話せます。その目標を見据えて、栽培の規模やどんな経営がしたいのか、そのためにはJAに出荷するのがいいのか、個人で販売するのがいいのか、個人ならどんなやり方がいいのか、個人事業主なのか、法人化を考えた方がいいのか、雇用はどうするかなど、栽培方法ではなく経営的な話がメインです。経営者目線で考えないと生き残れないという話をしました。栽培方法の議論なら年齢関係なくできますが、経営的な話は目上の人とはしづらいんですよね。だから僕もこれまであえて触れずにきたというのもあるし、収入の話などは相手の意向を汲まないと、思わぬ誤解を生むこともあって難しいんですよね。でも、そうはいっても今のままだとみんな倒れてしまうのではないかっていう危機感を覚え始めて。今は親世代がいるから若者も何とかできているけど、ゆくゆくは維持できなくなる恐れもあるなと。もちろん、栽培について聞かれれば、僕が分かることなら答えますけど、聞かれることはほとんどありませんね」。
ただ過去に一人、貪欲に質問してくる友人がいた。先ほど話に登場した今は亡き友人だ。「ある時、どうすれば産直市に出せるのかと彼に聞かれたことがあって、僕が出していたので一緒に出そうって話しました。二人で出して、ここに来ればおいしい柑橘が買えると、これまで以上にたくさんのお客さんが来てくれるようになればいいね。そのためにお互いにいい柑橘をつくろうって。農家同士はライバルでもあるけど、一つの産地として、お客さんを奪い合うのではなくて、一緒に高めていくために何か行動しないと」。高根島には今、長畠さんより若い農家が六人いるという。五人が家業の後継者、一人は新規就農者で、交流もある。
長畠さんは現在42歳。一農家としても、若手農家のアニキ分としても、まだまだ今後に期待が高まる存在だが「もう10年したら52歳。60歳くらいで引退したいですね。できれば50歳くらいの時点で誰か優秀な人材が出てきて、産地を引っ張ってくれたらいいなと思っています。それまでに自分ができることをしっかりとやりとげたいですね。新規就農を希望する人がいるなら、できればうちに研修に入ってほしい。研修が終わる時にうちのいくらかの畑を任せられたらいいなと。もちろん地主さんと話を付けておかないといけませんが。自分が維持管理しながらノウハウを伝えて、独立してもらえたら一番いいなと思っています。そうなるとうちも法人化した方がいいのかなとも考えています」。高根島が柑橘の産地としてこれからも生き続けるために、その産地を支える農家がそれぞれ最適な形で生きていくために、自分にできることを、長畠さんは探し続けている。
「子どもの頃から島で育って、外に出ていた時期もあったけど結局島にいるので、この風景を守りたいという思いはあります。高齢化が進んでいて、このままでは確実に島に人がいなくなりますが、そうなってしまうまでの期間をできるだけ延ばしたいというか、自分の子どもの世代も、その次の世代も、今と同じようにはいかなくても、なるべく現状に近い形で残ればいいなと」。
退院して倉庫を建てた2021年、隣接する土地も購入してマイホームを建てた。亡くなった友人の義兄の会社に頼んだのだという。「この土地を決めてすぐに事故に遭って、それ以降は、お見舞いに来てくれたりつらいときに声をかけてくれたりした人とのお付き合いを大事にしようと思うようになりました。倉庫も、自宅もそうです。恩返しという気持ちもあるし、それだけ僕を気にかけてくれている人たちなので、これからも一生付き合っていけると思っています。そういう意味では、事故に遭って良かったのかもしれません」。
さらにこれまでの人生を、人との出会いにものすごく恵まれていたと、長畠さんはしみじみと振り返る。大学時代に麻雀と研修会に強引に引っ張った先輩、研修で農家も捨てたもんじゃないと気づかせてくれた高知や愛媛の農家さん、試験場の先生、指導員時代にお世話になった当時の指導課長、亡くなった友人、事故時に支えてくれた人たち、そして今この島で共に産地の未来を語り合える仲間たち、さまざまなタイミングでいろいろな人に出会い「僕は運がいいなって思います」。長畠さんがその一人一人に感謝や敬意を抱いているのと同じような気持ちで、長畠さんを思う人たちが、これまでも、これからも、きっとたくさんいるのだろう。
長畠農園公式サイト
https://nagahatanouen.com/
掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。