初めて案内してもらった能勢さんの畑は、作業場から細い小道をくねくねと上がった高台に広がっていた。急な斜面に木々が並び、足もとはところどころ凸凹で、ここでの作業はなかなかの重労働だろうと推測できる。しかしそこから見下ろす港や瀬戸内海の風景は爽快で、味わい豊かな柑橘の宝庫・瀬戸内の風土を肌で感じられる絶好のロケーション。晴れた日の午後、作業の合間に海を眺めながらおにぎりをほおばり、ほっとひと息。実際はそんなのんきなものではないだろうが、ふとのどかな休憩時間を想像してしまった。
能勢さんの畑は父親から受け継いだもので、生口島と高根島に点在している。柑橘畑を始めた頃から有機栽培だったが、当時はまだ有機栽培があまり認知されておらず理解が得にくかったため、借りたり購入したりできる農地は、山の上や急斜面で狭いといった条件が良いとは言いがたい畑が多かったという。その後、高齢化や転居などさまざまな事情で畑を手放す人から預かったり譲り受けたりしながら栽培面積を広げてきたが、その場合も、親戚など近い筋から譲り渡すため、好条件の畑はなかなか回ってこない。それでも最近では「将来的には、能勢さんに管理をお願いしたい」と依頼されることもあるそうだ。
「体がほてってほてって…」夏真っ盛りのこの時期は、戦いの日々。敵は、暑さと雑草。能勢さんは夏の間は毎日朝一番と夕方に草刈りをするが、島内の至る所に畑があるため、毎日順繰り回っているうちに最初の畑は青々と雑草がよみがえり振り出しに戻るというバトルをエンドレスに繰り返している。除草剤を使えば一気に楽になるのは百も承知だが、能勢さんは、まむしに出くわしても、作業着が絞れるほど汗だくになっても、雑草と追いかけっこを続ける方を選ぶ。
草刈りの様子を見学していると、根元ではなく膝丈ほどの高さで刈り取っている。これは、根元から刈り取ることで、かえって雑草の生命力が再生しようと土の養分を奮ってしまうため、あえて高さを残すことでその力を抑えようとしているのだという。根元から刈られると雑草は生命の危機を感じて生きようと頑張るが、ほど良く刈り取ることで、雑草が本気になるのを防いでいるという感じか。これは父親から教わった方法で、反骨心もあって最初は素直に聞かなかったが、実際に自分が草刈りをするうちに父親の教えが正しいと実感したという。
7~9月は摘果の時期でもある。摘果とは、簡単にいうと不要な果実を間引く作業のこと。柑橘の木は果実が多いと、糖分を生成する光合成が盛んになるといわれているが(着果ストレス)、一方で果実が多すぎると光合成によって生成される糖分が一つ一つの果実に十分にいきわたらない。そこで、光合成の力を最大限に発揮できるように多くの果実で着果ストレスを極限まで与え、最後に一気に果実を落としてストレスを解消してやる。そうすることで、一つ一つの果実に糖分がしっかりと届けられる。それを品種ごとに適切な時期に実施するのだ。
柑橘農家は冬の繁忙期以外のシーズンに何をしているのかイメージしにくいかもしれないが、草刈り、摘果、土づくり、ほかにも畑の管理や機械のメンテナンスなど春から秋にかけても仕事は尽きない。「オフシーズンはありませんよ」能勢さんは、年中ほとんど島から出ることはないという。
能勢さんは生協で働いていたが、9年前に就農し、父親が営む柑橘畑で一緒に働くようになった。父親は昔から有機栽培で、周りの普通栽培農家から雑草や病害虫のことで苦情を言われているのを子どもの頃から見ていたという。「うちが迷惑をかけてるんだと思っていましたね。でも親父は気が強く『そっちの農薬が飛んでくる方が迷惑なんじゃ!』と言い返すくらいでしたが(笑)」。
一緒に働くようになっても反骨心から、本などで得た知識と父親の言うことが違うと、父親の意見とは違う方を選び失敗して叱られることもあった。「親父の言うことはきれいごとばかりだと思っていて。でもきちんと実行してるんですよね。当時は、やっていることの意味も分かりませんでしたが」。
父親は朝4時ごろから草刈りに出かけ畑作業、正午から15時ごろまで休憩をとり、その間に晩ご飯の魚を釣りに。夕方になると魚を持って帰り、草刈り機の燃料を満タンにして再び畑に向かい、6時には必ず帰宅して晩酌。これが日課だった。
「農家らしい生活だなって憧れますね。僕は休憩時間に釣りをするとバテてしまって、夕方の草刈りが仕事にならなくて(笑)。親父はお酒が大好きで、服はボロでも食べるものに関してはすごくこだわりがありました」。全国各地のお客さんから現地のおいしいものを取り寄せては楽しんでいたという。「お客さんも巻き込んで、いつの間にか友達になってしまうような人でしたね」。
そんな父親が2年前に他界。葬儀には全国から多くの人が集まりたくさんの花が届いた。「親父が死んだ時に、いい人生だったんだなと。ケンカすることも多かったけど『能勢さんは外を向いて仕事をしていた人』だって、地元の人、会社関係の人、お客さん、いろんな人が悲しんで涙を流し手を合わせてくれた」。2月の繁忙期、通夜の日も出荷を止めるわけにはいかず、能勢さんは倉庫で作業に追われていたという。
炎天下の草刈りから季節が変わり、収穫期が訪れてから久しぶりに能勢さんのもとを訪ねると、作業場の入口で若いスタッフがブラッドオレンジの枝と格闘中。聞くと、接ぎ木用の枝を切り分けているとのことで、能勢さんからアドバイスをもらいながら1本1本作業を進めていた。大好評の能勢さんのブラッドオレンジ。タロッコとモロという2種類の品種を作っているが、モロの木は現在20本のみで、オーダーに応え切れていないのが現状だ。大量生産するのは難しいが、求めてくれる声にできるだけ応えたいと、これから少しずつ増やしていく予定だという。
ふと見ると、枝の横にはブラッドオレンジの葉がこんもりと。父親の頃からの付き合いというバーテンダーの依頼で、きれいな葉を選別して送るのだという。モヒートに利用されるのだが、葉まで活用できるのも、能勢さんの安心な栽培方法ならでは。そのバーテンダーは畑を訪れると葉をかじって味見するそうで、聞いたからには編集部も食べてみたいと、ガジガジ…。青臭さを想像していたが、予想外に爽やか。ほんのりではあるが確かな柑橘感が広がった。忙しいさなかでも、手間がかかっても、大切なお客さんからの要望ならつい応えてしまうという能勢さん。「大変ですよ~」と苦笑いしながらも「これも直接やりとりしてもらっている良さでもありますからね」と充実の表情を浮かべる。
冬は柑橘農家の繁忙期。作業場での仕事も山ほどある中、ブラッドオレンジの畑に案内してくれた。軍手とハサミを借りて、いざ収穫。今日はレジャーの「みかん狩り」ではない。能勢さんが大切につないできた人たちにお届けすると思うと気が引きしまる。枝のどこから切ればいいのか、シミや傷などの許容範囲は、注意点を聞きながら進めていく。「これは大丈夫?」迷ったら逐一確認。皮を突き破って穴が空いているのは鳥のしわざ。穴あき果実が多い木はおいしく実ったんだなと思うのだが、だからこそ鳥たちのごちそうになってしまったのが残念である。
手のひらにちょうど収まるブラッドオレンジがゴロゴロとカゴいっぱいに積み上がる。つやつや美しい果実に、傷やシミがあるもの、ヘタがとれているものも混じる。それらの現象一つ一つが自然の営みであり、なぜそうなったかという理由がある。見た目は違っても皮をむいてしまえば同じおいしさだったりする。それらを理解した上で、私たちは何を選ぶのか。今一度、自らの食への価値観を見直してみたいと思った。
能勢さんが「うまいとしかいいようがない」と胸を張るブラッドオレンジ。扱っている品種は「タロッコ」と「モロ」で、目指すのは、サイズが小さくても味の濃いもの。一般的なサイズより小ぶりだが、その分、植物色素のアントシアニンがしっかり回って、深い赤色の果肉を噛みしめると濃厚な旨味があふれ出し、ほどよい酸味が後味をすっきりさせる。能勢さんは早くて2週間、平均3~4週間、貯蔵庫で寝かせ、熟成させて出荷する。適切な温度管理によってほど良く酸が抜けると、もともとたくわえていた糖分が甘みを発揮するのだ。有機栽培の世界においてブラッドオレンジは、温州みかんや不知火(デコポン)など雨量によって味が大きく左右される品種に比べると比較的品質を確保しやすく、土づくり、剪定、肥料、貯蔵方法など、適切な措置を施せば、最適な状態に熟成させて出荷できるのだという。
レモンは主に「リスボン」と「ベルナ」という品種を扱う。リスボンは日本で作られている最も一般的な品種で、ベルナはリスボンとは違った風味が魅力。爽やかな酸味の後に、ふわっと広がる甘み…父親がさまざまな品種から選抜したベルナレモンがイチ押しだ。ほかにも、いろいろな品種を試してみるのが好きだったという父親が植えた木が残っているとのことで「いつまでたってもうまくならないレモンがあるんですよ。島の人には成功したら譲ってくれといわれるけど、実験費がほしいですよね(笑)。でも、今主力のベルナレモンも最初はエグくて切るしかないと思っていましたが、切らずにほったらかしていたらすごくおいしくなったんです。だから、今はおいしくなくてももしかしたら…って(笑)」。
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https://shimanami-lemon.com/
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